【質疑応答】
問)
今日、日銀の金融政策決定会合の10年前の議事録が公開されまして、ちょうどリーマンショックのときの対応の議事録だったのですけれども、そのときの対応、なかなか難しかったことをうかがわせていました。そのとき大臣、総理大臣として対応に当たっていたと思うのですけれども、そのときを振り返って何か今教訓として思うこととか、対応、どうすればよかったとか、どうお考えでしょうか。
答)
リーマンブラザーズが破綻する前にはアメリカでは、日本で言う住宅公社みたいなものなどいろいろな金融機関が倒産をしたという状態になりつつあったのをFRBなり財務省がそのときは助けたのですよね。ところがリーマンブラザーズのときはしなかった。結果としてリーマン倒産ということになった。他の金融機関、なかんずく世界で、サブプライムローンというローンを買っていた世界の銀行がそれによって倒産ということになって、国としての借金はほとんどなかったアイルランド、アイスランドあたりが、銀行が倒産ということになって、その負債だけで一挙にということになっていったというふうな異常事態があのとき起きましたので、金融収縮の状態に陥るというのを避けなければいけないということで、我々の場合は1997年のアジア通貨危機のときの経験がありましたので、これはきちんとした金というものを持っているところがないと、そのときの韓国、タイ、インドネシアだったか、ちょっと忘れてしまったけれども、宮澤大蔵大臣だったかのときにこれを全部助けることを、日本が一手にということになりましたので、あのときは日本で国際金融機関、いわゆるIMFにお金を融資しますから、その金で、世界で金融収縮が起きるような状況に追い込まれる国に対してIMFが融資するというような形でやったらどうですかと言って、あのときは1,000億ドルだったか、100円ぐらいだったので、約1,000億ドルを出したのだと思いますけれども、そういったような形でやらせてもらいましたけれども、少なくとも世界的に国際金融収縮が起きて、アジアの通貨が吹っ飛ぶという話は全くそのおかげでなくなって、あの金を使って主にうまくいったのは、東ヨーロッパの国が一番借りましたかね、アジアの国は、IMFに金があるとわかったら、あらかじめ借り込んでおくというようなことをしませんでしたから、東ヨーロッパの国なんかでそういった金は随分IMFから借りたというところがある、あのときは結果としては判断としては世界中やりましたので、日本がやったのだからアメリカもやってもらおうと、ほかの国でもそれぞれ、日本が出したのだからほかも出せといって出しましたので、中国も確かあのときは半分ぐらい出せばいいじゃないかといって、中国からも半分ぐらい、500ぐらい出したかね、フィフティービリオンぐらい持っていったと、出したのだと思いますけれども、そこそこの金がIMFに融資された形になりましたので、うまくいったという形だと思いますね、あれは。なかなか難しい判断でしたね、あのときは。
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【ソース】財務省:麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要(平成31年1月29日(火曜日))